2009年 09月 29日 ( 1 )

2年前の今ごろ、僕は南米にいました。
8月から10月いっぱいまで、だいたい3か月。その前はヨーロッパに3か月ぐらいいて、スペインのマドリッドからチリのサンチアゴまで大西洋を一気に渡って南米大陸に上陸したのでした。

8月のマドリッドは夏。半袖・短パン・ビーサンという格好で、夜になるとバルでカーニャ(生ビール)をあおる日々。
そんなマドリッドの次に渡ったサンチアゴは……町中からもこんな風景が見えるんです↓

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そう、アンデス山脈ですね。言うまでもなく、半袖・短パン・ビーサンなんて格好で歩くと凍え死にます(笑)。すぐさまダウンジャケットを着込み、デニムの下にアウトドア用のスパッツを履いてもまだまだ寒い。
そんな時、凍えた身体を温めてくれたのが、ソパ・デ・マリスコス。つまり、海鮮スープですね。
冷たい海に面しているため、サンチアゴではすごく美味しい魚貝類が食べられるんですね。で、ここにギューッとレモンを絞っていただく。もちろん、現地の白ワインと共に。

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……秋になって、徐々に涼しくなってくると、サンチアゴで感じた冷気が蘇ってきます。
温かいソパ・デ・マリスコスと、穏やかな人々。観光地としては非常に地味なサンチアゴではありますが、まるで昭和40年代の東京にタイムスリップしたかのようなその雰囲気が僕は大好きでした。

サンチアゴには渡った理由はもうひとつありました。
それは、軍事政権下のチリで絶大な影響力を誇った反体制歌手、ビクトル・ハラの残り香を嗅ぐため。
チリの各地に残るフォルクローレを調べあげ、「民衆の歌」を歌い続けたビクトル・ハラ。彼は73年9月、ピノチェト将軍率いる軍部に惨殺されました。しかも、二度とギターを弾けないようにと、両手を銃で打ち抜かれ。
僕がビクトル・ハラの存在を知ったのは、SOUL FLOWER UNIONが彼の“平和に生きる権利”(El derecho de vivir en paz)をカヴァーしたことがきっかけでしたが、その優しくも力強い歌声に一気に引き込まれてしまったのでした。

サンチアゴでは、まだまだビクトル・ハラは「英雄」でした。チェ・ゲバラやボブ・マーリーと共に、街角では数多くのポストカードやポスターが売られ、洒落たレコードショップでも彼のレコードが誇らしげに飾られていたものでした。
ビクトル・ハラについてはまだまだ書きたいことがあるのですが、少し長くなってしまったのでこのへんで。

ひとまず、彼の代表曲である“平和に生きる権利”をお聞きください。


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by hazimahalo | 2009-09-29 05:53 | 中南米