2010年 08月 26日 ( 1 )

 8月23日、青山のPLSMISでGOMAの個展「記憶展」のオープニングパーティーが行われた。彼はアボリジニの伝統楽器、ディジュリドゥのプレイヤーとして長年活動してきた人物。素晴らしい数作のソロ作のほか、現在はディジュリドゥ+打楽器3人という編成のJUNGLE RHYTHM SECTIONでも活動していて、ディジュリドゥという楽器の可能性を常に切り開いてきた音楽家だ。
 今回の「記憶展」は、そんなGOMAがコツコツと描き貯めてきた作品を展示したもの。鮮やかな色彩がキャンバス一杯に広がっていて、いずれの作品も何とも言えぬ力を持っている。僕もオープニングパーティーでそれぞれの作品をじっくりと拝見したが、そのすべてが点描で描かれていることには驚かされた。どの作品も〈キャンバスに向き合わないといけない〉とでもいった強い思いを感じさせるのである。それは執念といってもいいもので、僕はその思いに圧倒された。

GOMA & The Jungle Rhythm Section - Afro Sand


 では、なぜGOMAは絵画という表現方法を選び取ったのか。
 彼は昨年11月26日、首都高速で追突事故に遇っている。大きな外傷もなかったため当初は入院することなく帰宅したそうだが、その事故によって高次脳機能障害を発症。症状の詳細については彼のオフィシャルウェブサイト(http://www.gomaweb.net/)をチェックしていただければ幸いだが、要するに記憶が断片化し、それまで蓄積されていた記憶の多くが失われてしまったのである。さらに記憶の定着/整理機能にも障害が抱えることになってしまう。いくらリハビリに励もうとも、次の瞬間、その記憶は失われてしまうのだ。
 言うまでもなく、このことは日常生活にも多くの支障をきたすことになる。彼には奥様と可愛らしい娘さんがひとりいるが、ご家族の苦労は想像を絶するものではないだろうか。
 また、この事故は音楽家としての彼の歩みにも大きな影響を与えた。ディジュリドゥはシロアリに食べられたユーカリの木を原料とし、はっきりとした音階を持たない楽器である。そのため、演奏にあたってはプレイヤーの感覚が重要となる。記憶の断片化は長年磨き上げてきたその感覚の一部を失うことをも意味する。
 GOMAにとって絵を描くことは、失われてしまうかもしれない記憶を定着させ、生きている証しをキャンバスに刻み込むことでもあった。それは次の瞬間の自分を勇気づけるものでもあるのだろうし、断片化してしまう時間を一本の線の上に置き直す作業でもあるのだろう。先述した〈キャンバスに向き合わないといけない〉という執念は、生きることに対するGOMAの執念でもあるのだと思う。

 僕がGOMAの音楽と出会ったのは、10年ほど前のことだ。彼と実際に会ったのは、僕がタワーレコード発行の音楽雑誌「bounce」の編集部に入った8年ほど前のこと。3枚目のアルバム『Million Breath Orchestra』リリース前後のことだったと思う。
 彼と話したことのある方であればよくご存知のとおり、GOMAは実にフレンドリーな人物である。彼は会ってすぐに僕のことを〈大石くん〉と呼び始め、僕も彼のことを〈GOMAくん〉と呼ぶようになった。以降、彼には驚かされるばかりだった。ディジュリドゥというプリミティヴな楽器に新しいアプローチを持ち込み、今まで聴いたことのないような音楽を次々に届けてくれた。可能なかぎりのライヴに足を運んでいるうちに、2人で酒を酌み交わす仲にもなった。事故の約2か月前、恵比寿リキッドルームで行われたGOMA主宰の〈JUNGLE LIQUID MUSIC FESTIVAL 2009〉にも僕は足を運んだが、後からGOMAは〈ステージ上から大石くんの姿が見えたよ〉とメールを送ってきた。フロア後方で踊りまくっていた僕の姿が決して目立っていたとは思えないが(いや、どうだろう?)、わざわざそんなことをメールしてくるあたりが何ともGOMAくんらしいな、と思った。その時のライヴは本当に感動的なもので、実際のところ、踊りながら何度も涙を拭わなくてはいけないほどだった。

 事故のことは、奥様から頂いた電話で初めて知った。僕がオーガナイズに関わっているパーティーでGOMAに演奏してもらうことになっていたため、出演が不可能なこと、それと事故後の状況を直接奥様から聞くことになったのだ。僕と仲間たちは、そのパーティーでGOMAと一晩を過ごせることを本当に楽しみにしていた。きっとGOMAも同じ気持ちだったと思う。奥様はそうしたオーガナイザーひとりひとりに出演キャンセルの旨を伝え、事故のことを繰り返し説明していたのだろう。事故後の混乱のなか、丁寧なお電話をいただいた奥様には頭が下がるばかりである。
 事故後のGOMAの状況については、何人かの友人を通じて聞こえてきてはいたものの、活動再開の具体的なプランについては不透明なままだった。当然のことながら、前のように気軽に電話やメールをできるはずもないわけで、僕ができるのは彼からの前向きな便りを静かに待つことだけだった。

 だから、彼がマイペースに絵を描き続けていること、そしてディジュリドゥに再び息を吹き込み始めたことを聞いた時は、本当に涙が出るぐらい嬉しかった。今回の個展「記憶展」のインフォメーションを聞いた時も同じように涙腺が緩んだし、初日のオープングパーティーで行われるというアコースティック・ライヴには何が何でも足を運ばなくていけない、という強い思いに駆られた。
 昨夜のオープニングパーティーは、GOMAと親しい関係者、友人だけが集まるアットホームなものだった。久しぶりに再会する友人もチラホラいて、家を出るまで抱えていた不思議な緊張感はいつの間にか吹き飛んでいた。
 久しぶりに僕らの前に現れたGOMAは、見覚えのある衣裳に身を包んでいた。その表情にははっきりと緊張の色が窺える。彼がそっとディジュリドゥに息を吹き込むと、懐かしいあの低音がふんわりとギャラリーに広がっていった。正直なところ、最初の数分は、緊張と緩和をゆっくりと繰り返していくかつての彼の演奏とは比べることのできないものだった。どこか手探りで、迷いながらの演奏。だが、時間が経つにつれ、彼のプレイにどんどん生気が漲ってくるのが分かる。まるで生き物のようにディジュリドゥの音がウネり、観客を巻き込みながら空間全体がグルーヴしていく。今までの彼のライヴでは聴いたこともないような斬新なフレーズが次々に飛び出す様は、ちょっとした驚きだった。
 事故後、久しぶりにディジュリドゥと対面したGOMAは、その木の棒が何なのか理解できなかったという。おそらく、演奏に関する記憶の一部も失われていたのだろう。だが、たとえ知識としてのそれが失われたとしても、長年の活動で身体にしっかりと染み付いた演奏の記憶が失われることはなかった。演奏していくなかで、GOMAの体内に眠る記憶が揺り起こされ、ディジュリドゥを媒介として新たな世界が描かれていく。
 演奏時間はどれぐらいだったのだろうか? 音が鳴り止んだ瞬間に巻き起こった、爆発的な拍手と歓声によってようやく我に帰った僕にとっては、その演奏は1分にも、1時間にも思えた。
 演奏を終えたGOMAは、観客からの熱狂的なリアクションによってだろう、その場でしゃがみ込んで号泣してしまった。その後のスピーチでも感極まってたびたび言葉を詰まらせていたが、ここまでの彼と家族、スタッフの道程を考えると、それも当然のことに思えた。彼にとって昨夜はリスタートの一歩目に過ぎないかもしれないが、その一歩を踏み出すことができるなんて、事故直後の彼には想像もできなかったはずだ。
 ライヴ後の歓談時間には、GOMAと久しぶりに話すことができた。「大石くん、なんだかワイルドになったねぇ」と笑う彼の表情は、以前の彼と何も変わってはいなかった。僕は「前に会った時より3キロも太っちゃったんだよ」なんていうどうでもいい話しかできなかったが、本当は今すぐにでも涙腺が崩壊してしまいそうで、そんな下らない話で気を紛らわせていたのである。

「記憶展」は8月29日まで南青山PLSMISで開催。会場では、彼の素晴らしい絵がジャケットを飾るセレクション・アルバム『You are Beautiful』が先行発売されている。なお、この展覧会は東京の後、他県でも開催が予定されているほか、今後もいくつかのプロジェクトが準備されている。
 マイペースで活動を再開させたGOMA。その一歩一歩を見つめ続けたいと思っている。

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by hazimahalo | 2010-08-26 17:57 | アジア