「ほっ」と。キャンペーン
 今年に入ってから、DJをやる機会が随分と増えた。月に最低でも3本、手帳を見ると8本もやった月もある。もちろん、プロフェッショナルにDJをやっている方と比べれば僕のDJ技術など趣味の延長上に過ぎないかもしれないが、それでもやる以上はお客さんに楽しんでもらいたいし、何よりも僕自身が楽しくてたまらないのだ。見ず知らずの人が僕のかける曲で踊り、時には〈この曲、なに?〉と声をかけてくるーーこれは無条件に楽しい。調子に乗った挙げ句、最近になってから肩書きに〈DJ〉と付け加えてしまった。

d0010118_18552883.jpg この夏もいろいろな場所でDJをやらせてもらったが、僕にとっては2010年の夏を締めくくることになるパーティーが9月4日(土)に久米川のFOGGYで行われる〈FOGGY'S SUMMER BASH - 久米川夏祭り〉だ。DJにYAHMAN(CHAMPION BASS/TRIBAL CONNECTION)などの腕利きたちが揃い、TETSUNIQUESとTAMACO CLUBがライヴを行う。オーガナイズに絡んだ人間としては、もう間違いのないメンツである。

 このFOGGYというDJバーは、僕にとって本当に大切な場所だ。初めてこの店を訪れた際、僕はちょっとしたカルチャーショックを受けたし、〈こんな奇跡みたいな場所があったなんて!〉とすら思った。そんな大袈裟な……と笑ってもらって結構。ただ、笑った後は一度FOGGYに足を運んでみてほしい。僕の言っている意味が分かってもらえるはずだから。

d0010118_1912404.jpg中央線の国分寺から電車を乗り継いで15分ほど行ったところに八坂という小さな駅がある。おそらく東京都民のなかでもこの駅名を知っている人はそれほど多くないだろうし、多摩地区の住民にとってもあまり馴染みのない駅名のはずだ。周囲はごく平均的な多摩地区の住宅街だが、少し歩けばだだっ広い畑が広がる、そんな街だ。
 こんな八坂駅から歩いて5分ほどの場所にFOGGYはある。西武新宿線の久米川駅からも徒歩10分ぐらい。いずれにせよ、西東京に縁のない方であれば、まず足を踏み入れることのない場所である。

 僕が初めてこのFOGGYを訪れたのは、2009年9月のことだった。毎月この店でやっている〈SHANK CB200〉というパーティーに呼んでもらい、ゲストとしてDJをすることになったのである。
 あまり防音効果のなさそうな木製のドアを開け、地下に続く階段を降りていく。真っ先に目に入ったのは、フロア中に転がった風船をやたらめったらに割りまくる人たち。彼らは全員笑顔で、なおかつ赤ら顔。ひとりでFOGGYを訪れた僕が真っ先に〈マズイ店に来たぞ〉と思ったことは言うまでもない。こりゃ長い夜になるぞ、と。
 DJとして僕を呼んでくれた友人のモリオカくんが近づいてきて、「岸さんを紹介しますよ」と言う。「岸さん」とは、どうやらこの店のオーナーのようだ。「大石さん、ヨロシクお願いしますね! じゃ、何を呑みます?」ーーにこやかに握手を求めてきた岸さんは、両腕にタトゥーが入った40代のルードボーイだった。後から気づいたのだが、僕がFOGGYを訪れるたび、岸さんは必ず一言目に「じゃ、何を呑みます?」と言う。それが彼なりのもてなし方なのだろうし、今ではその一言を聞かないとFOGGYに来た気がしなくなってしまった。

 その日のパーティーはメチャクチャだった。岸さんはDJでもあって、ムチャチート・ボンボ・インフィエルノやクラッシュの“Police On My Back”をーー大抵、かけてる本人が踊りまくりながらーープレイし、それに合わせて全員が酒を煽り、岸さんと同じように踊りまくる。FumiさんとChieさんという2人のポールダンサーによるショウタイムが始まると、フランス人のエリックが千円札を彼女たちの胸元にネジ込んだ。モリオカくんは真っ赤な顔でフラフラしてるし、次から次へとさまざまな人たちが僕に声をかけてきては、〈グラスが空いてますよ?〉と煽りまくる。僕はそんなムードに煽られるようにジプシー・ブラスやクンビアをかけた……と思うのだが、正直なところ、その夜、何をかけたかほとんど覚えていない。ただ、渋谷や青山のクラブにはない気さくな雰囲気と、そこに集まる人たちの陽気さは、翌日酒が抜けた後もしっかりと残っていた。メチャクチャだと思っていたその日のパーティーが、週末のFOGGYではありふれたものであることも後から知った。
 翌日、岸さんから「レギュラーでパーティーをやりましょう!」というメールが入った。岸さんが提案してきたイヴェント名は〈ETHNIC COMBINATION〉。パンクもかかる〈SHANK CB200〉に対し、クンビアやサルサなどをかけられるパーティーをやろうということだった。それから毎月第三金曜日、僕、岸さん、TAKUYAくん、tagoodくん、ODAさんというメンツを基本にしたパーティー〈ETHNIC COMBINATION〉が始まった。

d0010118_19144682.jpgとにかく、僕にとってFOGGYは特別な場所だ。集まる人たちが全員陽気でイカれた人ばかり。だが、そのなかで一番イカれてるのが岸さんであることは間違いない。彼は80年代後半、ロンドンに数年滞在していた経験があって、その時体験したギャズ・メイオールのパーティーがひとつの原風景となっている。呑んで騒いで、その夜を楽しむこと。岸さんがパーティーに求めるものは実にシンプルだ。生きているといろんなことがあるが、その瞬間だけは人生を全肯定できるようにーー。ここ3年ほどの間、僕は自分の人生に影響を与える何人かの友人に出会ったが、岸さんは間違いなくそのひとりだ。僕は彼の音楽観/人生観に大きな影響を受けている。それは隠しようのない事実である。
 FOGGYにはアメリカ人やエクアドル人、フランス人、マルチニーク人までやってくる。都心の音楽好きも口コミを頼りにやってくるし、40代後半の女性が集団で遊びに来たかと思えば、80年代後半に新宿の第三倉庫で遊んでたようなハードコアなパーティーピープルだったりもする。僕は〈SHANK CB200〉と〈ETHNIC COMBINATION〉のFOGGYしか知らないが、ここでは毎月最終土曜に行われている〈Pure Pleasure!〉や毎月第三土曜の〈Table Turn〉といったヒップホップ系のパーティーも人気だ。
 そして、FOGGYに集う人たちはみんな岸さんの人柄を愛し、彼のヴィジョンを共有している。こんな店が渋谷や青山ではなく、八坂/久米川という片田舎に存在していること、そのこと自体が僕には驚くべきことだった。

〈FOGGY'S SUMMER BASH - 久米川夏祭り〉は9月4日(土)、夕方の6時から朝の5時までやっている。レギュラーDJ陣にとっては耐久戦。僕にしても、朝日が昇る頃にはまともに立てなくなっているだろう。
 僕はFOGGYのおもしろさ、楽しさをひとりでも多くの人に知ってもらいたいと思っている。こんなに魅力的な店はなかなかないし、20年後のFOGGYが〈伝説の店〉と呼ばれていても僕はまったく驚かない。その時、岸さんは還暦を過ぎ、僕も50代半ば。だが、その頃になっても僕は岸さんと一緒に酒を酌み交わしながらエクトル・ラボーやギャズ・メイオールの話をしているような気がする。

2010/09/04 SAT
Shank Cb200×Ethnic Combinatinon Presents
FOGGY'S SUMMER BASH - 久米川夏祭り
18:00~morning ¥1,500/1D

Guest LIVE:
TETSUNIQUES
TAMACO CLUB (African Percussion)

Guest DJ:
YAHMAN (Champion Bass / Tribal Connection)
AMEMIYA 'BABY LION' KSK (Caribbean Dandy)
KEN-KEN (Trial Production / Ken2-Dspecial)
風祭堅太
S.O.C (未来世紀メキシコ / 5W)

Guest Dancer (Pole Dance): Fumi & Chie

DJ:
HAJIME OISHI (EL PARRANDERO)
TAKUYA (REBEL FIESTA PARTY)
HAMA'S (未来世紀メキシコ)
tagood (monte bailanta)
ODA
KISHI (FOGGY)

MORE INFO:http://foggydmb.com/
[PR]
# by hazimahalo | 2010-08-31 19:17 | 酒と食
 8月23日、青山のPLSMISでGOMAの個展「記憶展」のオープニングパーティーが行われた。彼はアボリジニの伝統楽器、ディジュリドゥのプレイヤーとして長年活動してきた人物。素晴らしい数作のソロ作のほか、現在はディジュリドゥ+打楽器3人という編成のJUNGLE RHYTHM SECTIONでも活動していて、ディジュリドゥという楽器の可能性を常に切り開いてきた音楽家だ。
 今回の「記憶展」は、そんなGOMAがコツコツと描き貯めてきた作品を展示したもの。鮮やかな色彩がキャンバス一杯に広がっていて、いずれの作品も何とも言えぬ力を持っている。僕もオープニングパーティーでそれぞれの作品をじっくりと拝見したが、そのすべてが点描で描かれていることには驚かされた。どの作品も〈キャンバスに向き合わないといけない〉とでもいった強い思いを感じさせるのである。それは執念といってもいいもので、僕はその思いに圧倒された。

GOMA & The Jungle Rhythm Section - Afro Sand


 では、なぜGOMAは絵画という表現方法を選び取ったのか。
 彼は昨年11月26日、首都高速で追突事故に遇っている。大きな外傷もなかったため当初は入院することなく帰宅したそうだが、その事故によって高次脳機能障害を発症。症状の詳細については彼のオフィシャルウェブサイト(http://www.gomaweb.net/)をチェックしていただければ幸いだが、要するに記憶が断片化し、それまで蓄積されていた記憶の多くが失われてしまったのである。さらに記憶の定着/整理機能にも障害が抱えることになってしまう。いくらリハビリに励もうとも、次の瞬間、その記憶は失われてしまうのだ。
 言うまでもなく、このことは日常生活にも多くの支障をきたすことになる。彼には奥様と可愛らしい娘さんがひとりいるが、ご家族の苦労は想像を絶するものではないだろうか。
 また、この事故は音楽家としての彼の歩みにも大きな影響を与えた。ディジュリドゥはシロアリに食べられたユーカリの木を原料とし、はっきりとした音階を持たない楽器である。そのため、演奏にあたってはプレイヤーの感覚が重要となる。記憶の断片化は長年磨き上げてきたその感覚の一部を失うことをも意味する。
 GOMAにとって絵を描くことは、失われてしまうかもしれない記憶を定着させ、生きている証しをキャンバスに刻み込むことでもあった。それは次の瞬間の自分を勇気づけるものでもあるのだろうし、断片化してしまう時間を一本の線の上に置き直す作業でもあるのだろう。先述した〈キャンバスに向き合わないといけない〉という執念は、生きることに対するGOMAの執念でもあるのだと思う。

 僕がGOMAの音楽と出会ったのは、10年ほど前のことだ。彼と実際に会ったのは、僕がタワーレコード発行の音楽雑誌「bounce」の編集部に入った8年ほど前のこと。3枚目のアルバム『Million Breath Orchestra』リリース前後のことだったと思う。
 彼と話したことのある方であればよくご存知のとおり、GOMAは実にフレンドリーな人物である。彼は会ってすぐに僕のことを〈大石くん〉と呼び始め、僕も彼のことを〈GOMAくん〉と呼ぶようになった。以降、彼には驚かされるばかりだった。ディジュリドゥというプリミティヴな楽器に新しいアプローチを持ち込み、今まで聴いたことのないような音楽を次々に届けてくれた。可能なかぎりのライヴに足を運んでいるうちに、2人で酒を酌み交わす仲にもなった。事故の約2か月前、恵比寿リキッドルームで行われたGOMA主宰の〈JUNGLE LIQUID MUSIC FESTIVAL 2009〉にも僕は足を運んだが、後からGOMAは〈ステージ上から大石くんの姿が見えたよ〉とメールを送ってきた。フロア後方で踊りまくっていた僕の姿が決して目立っていたとは思えないが(いや、どうだろう?)、わざわざそんなことをメールしてくるあたりが何ともGOMAくんらしいな、と思った。その時のライヴは本当に感動的なもので、実際のところ、踊りながら何度も涙を拭わなくてはいけないほどだった。

 事故のことは、奥様から頂いた電話で初めて知った。僕がオーガナイズに関わっているパーティーでGOMAに演奏してもらうことになっていたため、出演が不可能なこと、それと事故後の状況を直接奥様から聞くことになったのだ。僕と仲間たちは、そのパーティーでGOMAと一晩を過ごせることを本当に楽しみにしていた。きっとGOMAも同じ気持ちだったと思う。奥様はそうしたオーガナイザーひとりひとりに出演キャンセルの旨を伝え、事故のことを繰り返し説明していたのだろう。事故後の混乱のなか、丁寧なお電話をいただいた奥様には頭が下がるばかりである。
 事故後のGOMAの状況については、何人かの友人を通じて聞こえてきてはいたものの、活動再開の具体的なプランについては不透明なままだった。当然のことながら、前のように気軽に電話やメールをできるはずもないわけで、僕ができるのは彼からの前向きな便りを静かに待つことだけだった。

 だから、彼がマイペースに絵を描き続けていること、そしてディジュリドゥに再び息を吹き込み始めたことを聞いた時は、本当に涙が出るぐらい嬉しかった。今回の個展「記憶展」のインフォメーションを聞いた時も同じように涙腺が緩んだし、初日のオープングパーティーで行われるというアコースティック・ライヴには何が何でも足を運ばなくていけない、という強い思いに駆られた。
 昨夜のオープニングパーティーは、GOMAと親しい関係者、友人だけが集まるアットホームなものだった。久しぶりに再会する友人もチラホラいて、家を出るまで抱えていた不思議な緊張感はいつの間にか吹き飛んでいた。
 久しぶりに僕らの前に現れたGOMAは、見覚えのある衣裳に身を包んでいた。その表情にははっきりと緊張の色が窺える。彼がそっとディジュリドゥに息を吹き込むと、懐かしいあの低音がふんわりとギャラリーに広がっていった。正直なところ、最初の数分は、緊張と緩和をゆっくりと繰り返していくかつての彼の演奏とは比べることのできないものだった。どこか手探りで、迷いながらの演奏。だが、時間が経つにつれ、彼のプレイにどんどん生気が漲ってくるのが分かる。まるで生き物のようにディジュリドゥの音がウネり、観客を巻き込みながら空間全体がグルーヴしていく。今までの彼のライヴでは聴いたこともないような斬新なフレーズが次々に飛び出す様は、ちょっとした驚きだった。
 事故後、久しぶりにディジュリドゥと対面したGOMAは、その木の棒が何なのか理解できなかったという。おそらく、演奏に関する記憶の一部も失われていたのだろう。だが、たとえ知識としてのそれが失われたとしても、長年の活動で身体にしっかりと染み付いた演奏の記憶が失われることはなかった。演奏していくなかで、GOMAの体内に眠る記憶が揺り起こされ、ディジュリドゥを媒介として新たな世界が描かれていく。
 演奏時間はどれぐらいだったのだろうか? 音が鳴り止んだ瞬間に巻き起こった、爆発的な拍手と歓声によってようやく我に帰った僕にとっては、その演奏は1分にも、1時間にも思えた。
 演奏を終えたGOMAは、観客からの熱狂的なリアクションによってだろう、その場でしゃがみ込んで号泣してしまった。その後のスピーチでも感極まってたびたび言葉を詰まらせていたが、ここまでの彼と家族、スタッフの道程を考えると、それも当然のことに思えた。彼にとって昨夜はリスタートの一歩目に過ぎないかもしれないが、その一歩を踏み出すことができるなんて、事故直後の彼には想像もできなかったはずだ。
 ライヴ後の歓談時間には、GOMAと久しぶりに話すことができた。「大石くん、なんだかワイルドになったねぇ」と笑う彼の表情は、以前の彼と何も変わってはいなかった。僕は「前に会った時より3キロも太っちゃったんだよ」なんていうどうでもいい話しかできなかったが、本当は今すぐにでも涙腺が崩壊してしまいそうで、そんな下らない話で気を紛らわせていたのである。

「記憶展」は8月29日まで南青山PLSMISで開催。会場では、彼の素晴らしい絵がジャケットを飾るセレクション・アルバム『You are Beautiful』が先行発売されている。なお、この展覧会は東京の後、他県でも開催が予定されているほか、今後もいくつかのプロジェクトが準備されている。
 マイペースで活動を再開させたGOMA。その一歩一歩を見つめ続けたいと思っている。

d0010118_17554277.jpg

d0010118_17555542.jpg


 
[PR]
# by hazimahalo | 2010-08-26 17:57 | アジア
d0010118_1118954.jpg


実に4か月ぶりの更新になってしまいました。
流石にヒドイですね……スイマセン。

今日は1年半ほどの時間をかけてきた書籍の発売日です。
タイトルは「関東ラガマフィン」。僕にとっては初の著作となります。

この本は、80〜90年における関東のダンスホール・レゲエ・シーンの動向を、当時者の皆さまの証言とともに考察しようというものでして、いわば現在巨大なシーンを作り上げることになったダンスホール・レゲエ・シーンの黎明期の状況を探ろうとするものです。
証言者の数は38人。トータルで100時間を超える取材テープを元にした、340ページ強の濃厚な内容となっています。

前書きでも書きましたが、僕はクンビアやサルサ、各種ブラジル音楽やアイランド・ミュージック、アフリカ音楽も大好きですが、ひとつだけ好きな音楽を選べとなると、どうしてもレゲエになってしまいます。そんなレゲエがこの国にどう根付いてきたのか、それは文筆家としていつかまとめてみたいテーマのひとつでした。
今回、さまざまな方々のご協力のもと、ようやく完成に漕ぎ着けることができました。ご協力いただいた皆様には本当に感謝してもしきれません。ありがとうございました!

詳細は、発売元であるBLOODのサイトにアップされています。よろしかったらチェックを。
http://www.rove.jp/magazine/archives/2009/04/post_1.html

タワレコやHMVなど大型CDショップ、レゲエ専門店、またAmazonなどウェブストアで発売中です!(現在のところ、基本的には書店流通はしていません)
どうぞ宜しくお願いいいたします!!
[PR]
# by hazimahalo | 2010-04-10 11:20 | お仕事