今月の9日(水)、東京の草月ホールでかなり楽しみなライヴがあります。
主役はギジェルモ・アンダーソン。
彼の名前を知っている方がどれほどいるのかは分かりませんが、地元ホンジュラスでは知らぬ者はいない存在。

まずは彼の代表曲“En Mi País(私の国では)”をお聞きください。



ちょっとミルトン・ナシメントらブラジルのミナス系アーティストを思わせる透明感のあるメロディー。ホンジュラス〜グアテマラのルーツをはっきりと示すマリンバの音色。アフリカ系住民とインディヘナの混血であるガリフナのビート——。そんないくつもの要素が絡み合う図は、さまざまな文化が入り交じったホンジュラスという国の多様性をそのまま表現しているかのよう。
聞くところによると、ホンジュラス国民によってこの曲は「第二の国歌」ともいった存在らしく、おそらく自国でのライヴでは大合唱が巻き起こるのでしょう。

招聘元のウェブサイトには、そんなギジェルモの情報が豊富にアップされています。
「ホンジュラスってどこの国??」なんて方も、ここにアップされている動画を見れば彼の魅力が十分分かるはず。
もちろん僕も行くつもり。東京公演はこの1日だけなので、まずは頭をからっぽにしてギジェルモの歌の世界にじっくりと浸りたいと思います。いやー、楽しみだ!

ギジェルモ・アンダーソン 東京公演 2009
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# by hazimahalo | 2009-12-04 06:22
久しぶりの投稿になってしまいました。どうもTwitterばっかりやっちゃいますねぇ(言い訳ですが)。
ふと思い立って、ポルトガルのことでも真面目に書いてみようと思います。
(ここから少し文体を変えます。仕事柄、どうも「です・ます」調だとうまく書けないもんで)

僕がポルトガルを訪れたのは2007年7月のことだった。
滞在期間はわずか10日ほど。スペインのマドリッドから長距離バスで6時間かけ——スペインの長距離バスはとても快適なので、この移動時間もさほど苦になるものではない——首都リスボンに辿り着いたのは、日もだいぶ落ちた夕方のことだった。
バスターミナルから電車で市街地へ。それから徒歩でその日の宿を探す。

リスボンに辿り着く前に旅していた国は、全部で9か国。フィンランド、ハンガリー、ギリシャ、イタリア(とシチリア)、チュニジア、モロッコ、スペイン、フランス、スイス。ポルトガルでちょうど10か国目、旅の全行程で21か国を回ったので、ほぼ折り返し地点ということになる(実際、ポルトガルからスペインに戻った後の僕は、南米チリへとひとっ飛びすることになった)。
そんなこともあって、少し旅のペースを掴み始めていた僕は迷うことなく安宿街へと歩みを進めた。
年期の入った売春婦、頭が二倍ほどに膨れ上がってしまったホームレス、周囲の店が閉店した後も根気よく営業を続ける中国人スーパー、崩れかかった廃墟、壁に乱暴に書かれたグラフィティ、愛想のない安宿の店主。
嫌が追うなく、自分がヨーロッパ最果ての地までやってきてしまったことが実感された。

ポルトガルを訪れた理由ははっきりとしていた。
ちょうどヨーロッパ・ツアー中だったマヌ・チャオのライヴを観るため。南仏ではタッチの差で観ることができなかったことから、僕は意地でも彼のライヴを観ようと必死になっていた。そして、当初訪れる予定もなかったポルトガルまでやって来てしまったのだった。

マヌ・チャオが出演する巨大フェス「SUDOESTE」が開催されるのは、首都リスボンからさらにバスで5時間ほど行ったところにあるザンブジェイラ・ド・マールという小さな町。普段は物好きなサーファーが訪れるぐらいでひっそりとした町だが、このフェスの時だけは数万人単位の観客がヨーロッパ中から押し寄せる。
何のインフォメーションもないなか(なにせフェスのオフィシャル・サイトもないのだ!)なんとか辿り着いた会場は、周囲5キロに民家もないような荒野の真ん中にあった。そんなところまでやってくるアジア人観光客などいるはずもなく、会場を歩いていると時たま物好きなポルトガル人に声をかけられたりもした。
ヨーロッパ最果ての国、そのさらに最果ての地。たった2週間前までその地名すら知らなかったザンブジェラ・ド・マールで観たマヌ・チャオのライヴは、異邦人であることを肌身で感じていた僕にはやたらと温かく聴こえた。そして、次の目的地である南米へと旅を進めるのが多少おっくうになっていた僕は、マヌ・チャオの歌声に背中を押されたような錯覚に陥ったのだった。
もちろん、それが貧乏旅行者の——いくらかの感傷を含んだ——妄想であることは分かっている。でも、ザンブジェラ・ド・マールの非日常的な空間のなかにいると、そういった類いの妄想がいくらでも頭のなかを占領し、僕はその場で(やたらと居心地の良かった)旧大陸を離れることを決意したのだった。

リスボンに戻った僕は、夜になると入り口に売春婦が立つ安宿に舞い戻り、定食屋でオリーブオイルでギトギトになったイワシをツマミに白ワインを呑んだりしながら、残された数日を過ごした。
バイロ・アルトという地区にあるファドが流れる酒場を覗いてみたけれど、同じ地区にあった小さなレゲエ専門レコードショップのほうが僕には居心地が良かった。観光客慣れした酒場の親父の営業トークよりも、70年代のジャマイカの音楽について熱く語るレコードショップの若い店員のほうにこそ親しみを持てたからだ。
ヨーロッパ最後の数日間は、なんとも心地のいいものだった。そして、リスボンの街並が不思議と愛おしくなっていたことに、その時はじめて気づいたのである。

ポルトガルというと、僕はザンブジェイラ・ド・マールのだだっ広い風景と、廃墟の横で売春婦が客待ちをする夜のリスボンを思い出す。
それは確かにヨーロッパ最果ての地に相応しいものではあったのかもしれないけれど、その風景は僕の記憶のなかにやたらと鮮烈に刻み込まれている。

(ここから文体が戻ります)
ちなみに、ポルトガルのワインはびっくりするほど美味しかった!
チリのサンチアゴで呑んだ白ワインもかなりのものだったけど、ポルトガルもそれに並ぶほど。それまであまりワインが好きではなかった僕は、ポルトガルとチリ、そしてフランスのボルドーですっかりワイン愛好家になってしまったのでした。
現物をチェックしていないのですが、雑誌「ペーパースカイ」ではそのあたりの記事もたっぷり掲載されているよう。
上で書いた僕のポルトガル紀行はかなり偏った体験を元にしたものですが、こちらではポルトガルという国の多彩な魅力が紹介されているはず。僕もチェックしてみようと思います。

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地上で読む機内誌『ペーパースカイ』ポルトガル特集


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# by hazimahalo | 2009-10-27 11:44 | ヨーロッパ
d0010118_18574215.jpg アルゼンチンのブエノスアイレスにはロス・アニョス・ルスという、少々風変わりなレーベルがあります。
アヴァンギャルドでありながらポップ、プリミティヴでありながらフューチャリスティックなアーティストがズラリと並び、楽曲のカラーもさまざま。ただ、その軸には南米各地のフォルクローレがあって、単にキテレツなことをやってるだけではないところが本レーベルの魅力です。

このロス・アニョス・ルスの音源をまとめた日本編集盤が、先頃リリースされた『ウニコリスモ』。
先日亡くなったハミロ・ムソットを筆頭に、サンチアゴ・バスケスやアクセル・クリヒエールらの楽曲を収め、新時代のフューチャー・フォルクローレの面白さを楽しく伝えてくれる素晴らしい内容となっています。
選曲を手掛けているのは、吉祥寺CHEEKYでやってるパーティー「DESCARADO!」の仲間であるShhhhhくん。彼のDJとしてのスキルとセンス、そして人脈を総動員して、辺境音楽の堅苦しくないガイドブックになっているところは流石。
リマスタリングを施しているため、各曲ともに音がブ厚くなっている点もミソで、僕もよく本コンピ収録曲をDJで使っています(そういえば、昨夜のDJでも2曲ほど使わせてもらいました)。

前置きが長くなりましたが、以下はそんなShhhhhくんにメール・インタヴューしたもの。「LATINA」誌の原稿用に取らせてもらったもので、こちらがインタヴューの全文。校正は一切していませんが、とても面白い内容ではないかと思います。
Shhhhhくんとは古くからの交遊関係がカブってるので、多少ローカルな名前も出てきますが。

なお、『ウニコリスモ』の詳細はこちらから↓
『ウニコリスモ』:Amazonリンク

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Q:ロス・アニョス・ルスの音源をチェックしたのはいつ頃から、誰の音源がきっかけだった?
「コンピに入れたシルビア・イリオンドの"Tierra que anda"です。これはエグベルト・ジスモンチがプロデュースということで気になって買いました。フォルクローレってジャンルもしらなかった時代です。モノフォンタナの次を探してた時期です」

Q:また、南米の音源を掘り出したのはいつ頃から、誰の音源がきっかけだった?
「モノ・フォンタナの1stが全ての始まり。あとgaby kelpelの1stにもびっくりしましたね。と同時に昔は下っ端でトランス/レイブのパーティを手伝って遊んでたんですよ。そんとき内海イズルさんやzomboさん(現在は閉店した宇田川町のトランス系人間交差点雑貨屋、frankzakkaの店長)が野外パーティのアンビエント・フロアでかけてた、80年代のエグベルト・ジスモンチやエルメート・パスコアル等をDJのフィルターを通してプレイされた、壮絶なアンビエントという名のサイケデリックフロア体験がきっかけですね。すぐジスモンチの80年代の作品は集めました。あと余談ですが、大石君が関わって亡き新宿リキッドルームでやってた伝説のパーティ、ORGANIC GROOVEでの内海イズルのサイケデリック・ブラジリアンセットはトラウマです。当時ブラジリアンハウスみたいのははやってましたが、そんなもんとは全く違う、チャラさゼロのドサイケ体験でした。
 だからボッサとかじゃなくて、レイブカルチャーで培ったフロア体験のフィルターを通しての南米音楽がきっかなんです。でも考えてみりゃ高校のときに日本語ラップ聞きながらも親のレコードのセルジオメンデスに衝撃を受けたりしてましたけど」

Q:ロス・アニョス・ルスというレーベルの面白さはどこにあると思う?
「ポップなんだけど箱庭的、映像的な面白さ。誠実な諦念、それゆえのデカダンス。そしてなによりもこだわったアートワークですね。金かけてるわけじゃないけどどれも世界観がある。そして大事なのが彼ら南米のルーツ・ミュージックに多大なリスペクトを寄せてること。ちゃんとメルセデス・ソーサが参加したアルバムもあるし、なによりウーゴ・ファットルーソをフォローしてるとこなど。一冊のわけわかんない文学作品みたい」

Q:今回のコンピを選曲するにあたって心掛けたことは?
「グルーヴのキープですね。20世紀に後半のメジャーなクラブ/ダンス・ミュージックでは使われない音色、楽器がビートとなり、広い意味での21世紀のダンス・ミュージックになりえるということを証明したかった。その意味ではマスタリングのKABAMIXに感謝。彼は90年代初頭から海外のレイブカルチャーで遊び尽くした男で、僕の仲間がやってるフラワー・オブ・ライフやPOWWOWという大阪のフューチャーダンシングなパーティでPAをやってる人。低音は意識しました。いい低音とスネアがあれば人は踊る、ダンス・ミュージックになりえるという考えは、一昔前によく聞いてたDUBを聞いてて染み付いたことでもあるし、友達のDJのシロー・ザ・グッドマンやMOODMANがよく言ってたことで自然なことでした。このアルバムは更に突き詰めてディープハウスのつもりで(笑)」

Q:このレーベルの音源をDJでも使ってるけど、客の反応はどう?
「勿論いいですし、求められてるのを感じます。テクノでのリカルド・ヴィラロボスやデジタル・クンビアの流行り、メスティーソ系のロックが若い子達に受けてるし、ラテンの奥深いリズムが今又求められてるのを感じます。僕が10代の頃と全く違ってアメリカ/イギリス発のポップ・カルチャーしか伝わってこない、それが一番かこいいってわけどもないしね。でも技術的な話になるかもだけど、DJで使えるのはこのコンピからのマスタリングが施されたトラックだけですよ。俺はバキバキのフロアでこの辺を堂々と使いますからね」

Q:このコンピをどんな人に聴いてほしいと思う?
「ダンス・ミュージック好きですかね。普通にフェスいったりや色んな音楽がかかる小さなパーティで遊んでる人。世界の色んな音楽に興味がある人」
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# by hazimahalo | 2009-10-04 19:06